7月に予定していた「公演」という形態での作品発表が一体どうなるかは少し置いておきつつも、作品のクリエイションがスタートしています。
タイトルはTDN of TDP(Three different nights of three different persons)。
略してTDNと呼んでいます。私がこうして文字にしたり言葉にして率先して伝えようとしなければ、ダンサー以外の誰にも知り得ない状況なので、こっそりとクリエイション重ねていけば良いのかもしれませんが、なんだか自分の中だけで留めておくのは勿体無いくらいに新しい発見の連続なので、ブログに書くことにしてみたわけです。
現在、人と人が会うことを出来る限り避けて生活している私達。
このような状況になった最初の頃は、ダンサーやダンスを愛する人にとって致命的だ!と言っても過言ではないくらい、ネガティブな印象しか無かったのが正直なところです。空間を共有したり、体温や呼吸を感じたりが難しい中で、どのようにしてダンスというツールの良いところを最大限に生かすことが出来るのだろう、と自問自答を繰り返す日々でした。それと同時に、この作品のクリエイションは、ほんのちょっとではありますが既にスタートしていた中、じゃあ、どうする?ということも考えていました。不思議と、会えなくなったから辞めよう、という考えは一切浮かばず、むしろTDNのことに思いを馳せるとポジティブなアイディアばかりが生まれて来ました。やっぱり人間の生活にアート、ダンス、芸術は必要だよなあ、と思いました。
私は元々アナログ人間で、あまりオンラインに色々頼ることに良い印象が無かったのですが、会えない状況で作品を進めていくにはオンラインツールに頼る以外今のところアイディアが無く、動画やオンライン通話を活用しながら少しずつクリエイションを進めています。
今日もダンサー3人に向けて、細かくセクションを区切って振り付けのアイディアを共有する動画を送ったのですが、その作業が意外と楽しいのです。いや、かなり有意義な時間です。オンライン、苦手じゃなかったっけ?と自身で振り返ってみています。確かにスマートフォンやタブレットを駆使しての撮影や動画のアップロード、送信という作業は得手では無いのが事実です。ただし、この制限のある状況でのダンサー達とのコミュニケーションは、楽しい!のです。
直接顔を合わせてのクリエイションでは、勿論言葉の持つ温度や感情まで事細かに伝えやすいのですが、それには無駄なやり取り(本当は無駄では無い。が、ここではこういう言い方をしてみます。)が付き物で、あーだこーだ会話しているうちに何だかまとまって来たり、いい方向が見つかったりします。
一方で、動画を介してダンサーに振り付けする際には、まず出来るだけ情報を整理する必要があります。そして、整理した振り付けに自分自身が納得していることも不可欠です。そうでないと言語化できないからです。今回は、国外に住むダンサーと、国内に住むダンサーにそれぞれ別の言語で伝える必要があったり、ダンサーそれぞれのバックグラウンドも異なるため、私自身が使う言葉がいかにクリアであるかが、作品の中身に大きく影響してくることに気づかされています。過去を振り返ると、ダンスというコミュニケーションツールに偏って、言葉の扱い方が丁寧とは言えなかったのではないか、と反省しています。現時点で、これまでのように直接会って行う手法、そして会わずに行う手法、と異なるクリエイション方法の可能性に魅了されています。
会わないクリエイションでは、自分がいかにシンプルであるべきか、の他にもう1つ魅力的な部分があります。それは、振付家とダンサーそれぞれとの関係性が平等であるという点です。制限された環境、というのは一見ポジティブな印象ではないかもしれませんが、現在、お互いに自粛生活を送っているという状況が同じである私たちにとって、この生活の中から何が生まれてくるかに向き合うことができる今は、貴重なチャンスと言えるかもしれません。
書いた人:なかむらくるみ
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